AIは「使い魔」になる――誰もが「召喚師」になれる時代の人文科学を考える

 ここ半年あまりのAIの進展が私たちに投げかけている問題を考えるエッセイを書きました。AIによって揺らぐ「創造する」という行為の意味を紐解き、人文科学に問いかけられていることについて考えます。ぜひ覗いてみてください。

【エッセイ】「AIは「使い魔」になる――誰もが「召喚師」になれる時代の人文科学を考える」


はじめに

 3年ほど前(2023年)のこと、高校時代の友人と20数年ぶり(?)に話す機会があった。友人は、ソフトウェアエンジニアとして身を立て、現在はセキリティ関連のコンサルまでをも務めている。その友人が、当時あるサービスの構想について話してくれた。

 その名も「プロジェクトファミリア」――「ファミリア」とは「使い魔」のことである。例えば主人が端末に呼びかけると、「はい、ご主人さま。何か御用ですか?」といった具合で、好みのビジュアルをした「使い魔」が現れて、指定したタスクを実行してくれる。

 そのとき、話題の中心は生成AIであった。画像生成を中心としたさまざまなサービスが出てきた頃であったが、「プロジェクトファミリア」はその先にある新たな時代を感じさせる刺激的なアイデアだった。

 あれからどうだろう? Claude Code以降、特にこの半年あまりに(2025年末から2026年の中頃まで)AIがもたらした現実とは何だったのだろうか?

 データを分析して、成果物のファイルを生成してくれるのはもちろんのこと、問題を指摘し改善点を提案してくれる。決まったスケジュールでメールの下書きを用意してくれるし、PCに保存されたファイルだって自動で整理してくれる。
 かと思えば、話しづらい人間関係の悩みにだって嫌がらずに応えてくれるし、抽象的な思考が必要となる対話にだって、さまざまな形でアイデアを提供してくれる。

 筆者はいまになって思う。友人の想像力は、まさしくこの現実を象徴的に先取りしていたのではなかっただろうか?

 そして改めて思う。AIとは何だろうか?――AIはこの先、人間にとって「使い魔」的な存在になる。

 このエッセイでは、この「使い魔」というキーワードを手がかりに、AIを使用することが避けられなくなった時代の姿について考える。そして後半では、その変化が筆者の携わる人文科学にいかなる影響を与えるのかについて考えてみることにしたい。

【目次】

はじめに
1.かつてインターネットが存在しない世界があった
2.「使い魔」という比喩
3.「執事」、「秘書」 としての「使い魔」
4.「心情的パートナー」 としての「使い魔」
5.「使い魔」時代における人文科学について考える
 ○ AIだけでは真の意味での「創造」はできない
 ○ 産業革命期の陶工たち
 ○ AIそのものは「創造」することはできないが、人間の側が自ら「創造性」を手放す可能性がある
 ○ 何を委ね、何を委ねないのかについての自分なりの作法やルールが求められている
おわりに

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