2021年に拙著『〈自己完結社会〉の成立』を刊行して以来、5年の歳月が流れました。
この5年間、本書で描いた世界観の問題を中心に、現代思想の主題(課題)と結びつける論文を7本書き、本書の問題意識の核心がどこにあったのかを多くの方に伝えられるよう工夫を続けてきました。
ポストヒューマン、自己決定、メタバース(アバター)、反出生主義、(環境)加速主義・・・そしてようやく、こららで書いてきたことを1冊の本にまとめるときがきました。
本書の中心概念となる〈ヒューマニズム〉とは、単なる人道主義や人間の尊厳を謳った態度(思想としてのヒューマニズム)ではなく、「人間とは、とりわけ理性の力を通じて、さまざまな拘束から自分自身を解放することができる存在であること、そして人間に与えられた使命とは、まさしくそうした力を駆使することで、理念として構想された「あるべき何ものか」をこの地上に具現化していくことにあるとする強力な信念」のことを指しています。
そしてそれは単なる思想でもなく、「あるべき社会(人間)」の理念を元に「いま、ここ」を否定し、その「あるべき何ものか」に相応しく、現実そのものを絶えず塗り替えていこうとするという意味において、ある種の「原理」と呼ぶべきものです。
フランス革命による王侯貴族の打倒から、奴隷制の廃止、ウーマンリブ、今日のSDGsや多様性をめぐる言説、あるいはこの先に待っているだろう動物の権利やAI・ロボットの権利に至るまで、そこには西洋世界を貫いてきた「世界はこうであってはならず、こうでなければならない」とする焦りにも似た衝動がある。それを本書では、この「原理としての〈ヒューマニズム〉」が現れたものだと理解します。
近代(モダニティ)も、ポストモダンも、リベラルも、テックライトも、実はこの「原理としての〈ヒューマニズム〉」が形を変えたものに過ぎない。F・ニーチェの「神の死」以後だろうと、M・フーコーの「人間の死」以後だろうと、西洋世界は、実のところ一度としてこの〈ヒューマニズム〉の”外部”には出たことなどなかった。
そしてポストヒューマンや、自己決定、脱身体化、反出生主義、加速主義など、現代社会をめぐる数多くの問題を、この「原理としての〈ヒューマニズム〉」から読み解くとき、何が見えるのか――?
『〈自己完結社会〉の成立』を読んでくださった方には分かると思いますが、実はこの概念は、筆者が同書で「〈無限の生〉の世界観」と呼んできたものです。それを今回「原理としての〈ヒューマニズム〉」に読み替え、再構成しています。
予告という意味も込めて、その序文の部分(草稿)をnoteに掲載しておきましたので、関心のある方はぜひ覗いてみてください。
(1年以内には刊行できることを目指したいです。)
【序文】『〈ヒューマニズム〉の彼岸――ポストヒューマンから、自己完結社会、思念体、自己決定、反出生主義、環境加速主義の問題まで――』
【第一章】「ポストヒューマンと〈ヒューマニズム〉」
【第二章】「〈自己完結社会〉と〈ヒューマニズム〉」
【第三章】「「思念体」と〈ヒューマニズム〉」
【第四章】「「自己決定」と〈ヒューマニズム〉」
【第五章】「「反出生主義」と〈ヒューマニズム〉」
【第六章】「環境加速主義と〈ヒューマニズム〉」
【第七章】(最終章)「〈ヒューマニズム〉の彼岸」






